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1940년 이왕직장관소전치책(소화십오년)(1940年 李王職長官篠田治策(昭和十五年))

자료명 1940년 이왕직장관소전치책(소화십오년)(1940年 李王職長官篠田治策(昭和十五年)) 저자
자료명(이칭) 이왕직장궁소전치책(李王職長宮篠田治策) , 1940년이왕직장관소전치책(소화십오년)(1940年李王職長官篠田治策(昭和十五年)) 저자(이칭) 미상(未詳)
청구기호 RD00413 MF번호 MF35-004654
유형분류 고문서/공함류/其他謄錄 주제분류 기타
수집분류 왕실/고문서 자료제공처 장서각(SJ_JSG)
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일반사항

· 형식분류 古文書-公函類-其他謄錄
· 내용분류
· 시대분류 조선시대
· 서비스분류 왕실고문서
· 유형분류 공함류(公函類)
· 유형분류 기타등록(其他謄錄)
· 청구기호 RD00413
· 마이크로필름 MF35-004654
· 소장정보 한국학중앙연구원 장서각

형태사항

· 크기(cm) 27 X 19.5

· 상세정보

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내용

【서지사항】
【체제 및 내용】
【특성 및 가치】
범례
  • 인명
  • 관직명
  • 나라명
  • 건물명
  • 관청명
  • 지명
  • 연도
  • 문헌명
  • 기관

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[원문:RD00413_001]
李王職長官篠田治策
                   昭和十五年三月二十八日接受
     退官の挨拶(第一會議室に於て)
今回後進の進路を開く爲め辭職を願出ました處去る八日を以て御聽許を
得たのであります。
回顧すれば大正十二年二月李王職次官を拜命せし以來旣に十八年であり
ます。同一官廳に斯くの如く長く在勤せる者は甚だ稀であり此間大過無
く經過し圓滿に退官し得たことは全く李王同妃兩殿下の厚き御仁惠と各位
の御援助の賜物でありまして誠に感激に堪ヘざる處であります。
私の着任當時は李王殿下は陸軍步兵中尉であらせられましたが其後陸軍
大學校を御卒業になり累進せられて今は陸軍少將に御昇進遊ばされ現に
近衛の旅團長といふ名譽の御職務を御執りになつて居ります。私の想像
によれば殿下には本年中には陸軍中將に御昇進遊ばされ師團長の榮職に
御就きになるだらうと思はれます。殿下が中尉の時より中將に御昇進遊
[원문:RD00413_002]
ばさる迄長く奉仕したことは誠に身に餘る光榮と存する次第であります
李鍵公殿下李鍝公殿下に於かせられても私の着任當時は未た御少年の時
でありましたが今は兩殿下共に大尉に御進級李鍵公殿下は陸軍大學校の
敎官として李鍝公殿下は同校の學生として御勉勵遊はされて居るのであ
ります。
私が今回退官致しまするに就き在任中の重なる事項を同顧しますれば私
が着任した當時第一に目に着いたことは財政の窮乏でありました。卽ち
其の時迄は歲入を以て歲出を經理すること能はずして借入金を以て歲入
の不足を補ひました爲めに約五十萬圓の借金があつた, 之れでは困ると
思ひまして大に節約の方針を採り負債を償却し財政の整理を圖りました
が其後順調に經過しまして今日にては收入も增加し年に多少の乘餘金を
生じ基本財產を造成し得るようになつたのであります。
之は全く前會計課長の功績もありますが會計課の各職員を各課の職
員が協力一致して一方には緊縮方針を採り一方には歲入の增加を圖つた
結果であります。
又私の着任後二三年を經まして先王殿下の御薨去といふ誠に悲しむベき出來
事が突發致しました。當時外には故李太王殿下薨去の際に萬歲騷きを起
した樣に斯る人心に非常に衝動を齎した時機を利用して再ひ騷動を惹起
せんと企圖せる不逞の徒があり內には御葬儀の形式等に藉口して御親戚
舊臣等より種種の難題を持ち込むといふことがありまして一步を誤れば
如何なる珍事を惹起せ▦も計られざる情勢があつたのでありました。然
るに職員は協力一致して此難關に處し幸に無事に復た莊嚴裏に御葬儀を
終つたのでありました。
次て李王同妃兩殿下御洋行のことがありまして私は首席隨員を命ぜられ
[원문:RD00413_003]
て御伴を致したのであります。兩殿下御外遊に就ては反對した人人もあ
り御親戚舊臣も大に御心配されましたが途中何事もなく御機嫌麗しく御
歸朝遊はされたことは誠に御同慶之至りでありました。私は此御洋行の
次第を後世に傳ヘる爲めに隨行日記を發表致して置いた次第であります
又當時幸にも列國駐箚の大使公使中には私の友人も居りまして到る處で
大に便宜を得又朝鮮に對する認識を深めまするに好都合であつて御微行
であつたに拘らず列國にて內地各宮殿下にも例の少き程の御優遇を受け
最高の勳章等の御贈呈を受けさせられたのであります。
次には東京邸御造營のことであります。最初は敷地だけ御下賜の御沙汰
を拜したのでありましたが當時李王職には建築費支出の豫算が無いので
事情具申の結果更に建築費として金一百萬圓の御下賜を得て現在の御殿
の新築が出來たのであります。其他大磯の滄浪閣は伊藤公爵家より獻上
したものでしたが關東大地震によつて倒壞したので直ちに新築に着手し
現在の御別邸となつたのであります。其外に那須と今井濱に御別邸を新
築しましたが那須は山の別莊で夏は凉しく溫泉もありゴルフ場もあり御
避暑地として最も良好地であります。今井濱は伊豆の東南海岸にて冬期は
暖かくして溫泉もあり又夏は海水浴場として好適地でありますから將來
王世子殿下の水泳御練習等には最も好都合であります。
次には高宗實錄、純宗實錄、並に國朝寶鑑編纂の大事業であります。
之れは後世に殘るものであり其編纂に方りては最も愼重を要したもので
ありましたが委員各位の努力に依て支障無く此大事業を完成したが之に
よりて李朝歷代の實錄も寶鑑も完備したので獨り王家の事業として見る
ベきもので無く朝鮮文化の爲めに大に貢獻したものであります。
次には美術館の開設でありますが荒廢せる德壽宮を修理して永久に保存
[원문:RD00413_004]
すると共に石造殿には近代の日本美術の粹を蒐めて最高藝術に接する機
會に乏しき此の地方の人人に鑑賞の便宜を與ヘたことは內地にも無かつ
た最初の試みであります。卽ち內地に於て古代の美術は博物館にて又最
新のものは每年の展覽會に於て覽ることを得るも其の中途のもの卽ち明
治以後のものは之を覽ることを得ないのであります。故に李王職に於て
率先して斯る事業を始めたのであります又別に美術館を新築して朝鮮古
來の美術品を陳列し大に朝鮮の文化を一般に示すことは之れ亦時宜に適
した事業でありました。而して之れが爲に博物館は之を廢して元の本館
は之を圖書館としたが博物館は總督府に於て始政二十五年記念事業とし
て大規模のものを新築する故に此の京城に二つの博物館を有する必要な
く李王職の分は純然たる美術館とし其本館を圖書館としたのであります
又圖書館には最も貴重なる圖書を多數所藏して居るも從來只所藏して居
るのみでしたが今回特志の硏究家には特に閱覽の便宜を與ふることゝし
小規模乍ら閱覽室を新築致しました。此等も亦文化事業の一として多少
世に稗益あることゝ信じます。
宗廟永寧殿璿源殿各陵園墓の祭祀は李王職事務の重要なる部分でありま
す。此等神域の神聖を保つことは最も大切なことであります。近來此等
の個處が著しき淸淨となり二三十年前に比すれば見違ヘる樣になつたと
言はれて居りますことは洵に喜ばしきことであります。只祭祀典禮に關
しては世の進步と共に漸次改善を要するものがあります。卽ち此等の儀
式は多く支那の模倣であります。內鮮一體の今日何時までも支那の眞似
ばかり致して居るは如何がのものかと思はれますが此點に關しては未だ
硏究するに至らなかつたことは甚だ遺憾であります。然し只一つ總ての
御祭りの行事を王殿下の御決裁を得まして陰曆を全廢し總て陽曆を用ふる
[원문:RD00413_005]
ことゝしたのは一進步であると信じます。
以上の外德惠姬の東京御遊學及ひ御結婚、李堈殿下の御隱居、李鍵公殿
下李鍝公殿下の御結婚等の問題がありまして及ばず乍ら多少の盡力は致
しましたが今は皆過去の思出となつて居ります。
又兩公家の基本財產造成に關しては兩公家が何時迄も李王職に財政上依
存するは面白くないのでありまする故に兩公家は自己の基本財產を造り
之れより生する果實を以て永久に經理存續すベきであります。此基本財
產造成に就ては數年來努力して來ましたが漸く最近に至り宮內省及ひ總
督府の諒解を得て實現するまでに到りましたことは誠に難有いことであ
ます。
以上は在職中の思ひ出を三つ四つ拾つて見たのでありますが要するに私
が大過なく今回圓滿に退官することを得ましたことは全く各位が持ち場
持ち場に於て良く其任務を盡され以て私の方針に協力せられた賜物であ
りまして玆に厚く感謝の意を表するのであります。
先般上京の際李王殿下に退官の御許を願ひました時殿下には私が引續き
在任することを望ませられ容易に御許しが無かつたのであります。不肖私に
對し斯くまで御信任下されましたことは實に身に餘る光榮であり誠に感
泣の至りでありました。
尙ほ後任として前次官李恒九男爵が任命せられたことは大に喜ぶベきこ
とであります。新長官は御承知の通り名門の出であり長く李王職に在勤
して最も良く王公家の事情に通した方であります。又次官には咸北知事
であつた兒島氏が任命されたのであります。新次官も京城で人となり地
方官としても令名のあつた方であります。各位は益益御健康にて新長官
新次官の下に於ても亦克く其任務を盡され協力一致以て長ヘに昌德宮の
[원문:RD00413_006]
御繁榮と各殿下の御安泰とを計られんことを希望して御別れを致すので
あります。
  昭和十五年三月 日
            篠  田  治  策